投網物語

昔は、たいていの農家が”養蚕”といって、蚕を飼った。その蚕が作った繭から生糸を取って、または繭で売って現金を得るためである。ひと夏三、四回の養蚕をやるために、幾反歩もの桑畑を必要とした。
一年中、その桑畑の手入れ、施肥、草退治などに追われる。子供まで動員されての夏の太陽の下での草退治は、朝から晩までそれこそ戦争のようである。
まず、五月の十三、四日頃、蚕の掃き立てというのをやる。その幾日か前に、糠焼きをする。
籾殻を特殊な煙突を使って黒焼きの燥炭にする。これは蚕の稚蚕時に乾燥剤として蚕座に敷き詰める。湿気は蚕に大毒である。四回、脱皮して熟蚕となり、上族させて繭となる。
上繭は売って、屑繭は祖母や母親が真綿に掛けたり、糸を引いて糸で売ったり、また自家用に練ったり染めたりして、自分で織って夜具や着物にした。
昔は人数がいたから、各蚕期の合間や養蚕が終わった中秋の頃、土間の障子際などで、母親が炭火をガンガン織した七輪に鍋を掛け、熱湯の中へあらかじめ煮ておいた繭を入れて糸に引いていた。ちなみに、繭には「上繭」と「玉」「中」、「ピシヨ」、「一皮」などのランクがあって、上繭とは言うまでもなく肉が厚く糸質も良く、糸量の多い繭のこと。「玉繭」とは、二匹以上の蚕で作った繭のことで、糸量は多いが糸の太さが均一でなく、加工がしにくいので、主として真綿の原料とか、「太織」の横糸などにする。「中繭」とは、外部からの汚れなど、上繭としては売れない繭のこと。「ピシヨ」とは、営繭中に蚕が病気などで死亡したり、それが腐って中からしみ出して汚く、肉も薄く糸量も少ない繭。「一皮」とはごく薄く中の虫が見えるチリ紙の様な繭のこと。
とにかく、母親が忙しい思いをして引いた糸をせがんで貰ったり、またあるときはそっと無沙汰で盗んだりして、それを「銭独楽」という道具を使い、用途に従って適当な太さに撚り合わせるのである。引きたての糸は「端糸」といって、繭五、六粒分の糸を合わせただけの糸であるから、網の部分に適した撚糸に作成する。
まず、糸を撚るのに最適の日を選ぶ。無風で空気中に湿気がある日が良い。道具は直径四センチ位、長さ七十センチ位の竹材を横にして、同じ位の直径で長さ一メートル三、四十センチ位の竹の頂点にT字型に取り付けて、その横竹の背に長さ四から五センチの竹釘を三センチ位の間隔に並べて刺し、さらに十から十三センチ位おいて、
同じ要領で二本ずっ、四カ所、合計八本の竹釘を刺し立てる。
もう一つは、長さ二メートル位の先ほどのと同じ位の太さの竹竿の背に、T字に刺したと同じやり方で、都合八本の竹釘をしっかり刺して出来上がり。
三、四月頃の農閑期、風のない空気の湿った日を選んで、先程のT字型の竹を家の入口の道の中心に打ち込んだ丈夫な杭に固く縛って真っ直ぐに立てる。竹釘を刺した横竹は釘を上にして母屋の縁側の前へ水平に吊す。T字との距離は約四、五十メートル。吊した方をこちら側、T字を向こう側とする。それへこちら側から、例の絹の端糸を竹釘の間へ張る。端糸の端を「銭独楽」の由中の端を「銭独楽」とは四角い穴のある寛永通宝や文久通宝を、長さ二十センチ位の竹串に何枚か重ねて刺し、その用途によって枚数を加減し、両手で独楽を回しても銭が動かないように、目釘で固定する。つまり、細い撚糸を作る場合は枚数の少ない軽い独楽。太い糸を撚るときは枚数の多い厚くて重い独楽を使う。
最初は軽い独楽の竹串の先端へ端糸を繋ぎ、横竹の竹釘の聞を通って、向こう側のT字へ向かって伸ばす。端糸は糸引きのときの木枠に絡んだままだから、枠の中心の穴に篠竹を通して枠が落ちないように、細い竹枝を火であぶり、への字型に曲げて木枠の下に横に刺して目釘とする。枠の通った篠竹を立てて持ちT字竹に向かって前進すれば、糸がはぐれてカラカラと木枠が回転する。
T字竹に到着したら、その糸をT字の背にある四カ所の竹釘のうち、一番と三番へ掛けて、元の長い竹へ戻り、竹釘三番を経て、同じ重さの別の独楽の先端へ繋ぐ。これが網糸の片くれである。
次に、また同じ重さの錘の串に二番と四番に張り、一番、三番とまったく同じとし、この竹串を両手の掌を合わせて、独楽を回す要領で左手を前に右手を後ろへ引くと、独楽がブーンと鳴って、竹申中に繋いだ糸が勢いよく撚れる。
垂れ下がっている四本の「銭独楽」を順々に回して撚り、一秒間に何十回も回転する速さなのでたちまちに撚れる。その四本の糸(実は二本)が適当に平均に撚れたところでそれぞれ一本に引き合わせる。一と三、二と四とを合わせて、今度は倍の重さの銭独楽を二個、つまり今度は一本の糸の両端ということになる。
この場合、投網一反分の糸撚りのとき、最初はやはり網の天井部分の撚糸を作る。天井の糸は髪の毛を片くれにしたほどの極めて細い糸を作る。少々は深いところへ打つでも、早く沈むようにである。
さて、二と四と合わせて、錘を重い方に替えて、糸の両端へ付けた錘を先ほどとは反対に右手を前に出し、左手を後ろに勢いよく引いて回転させると、見る見るうちに二本だった糸は撚りをもどしながら一本となる。そのとき、時折両方の銭独楽を左右の手に持って糸をしごくように突いたり引いたりすると、撚りが平均に行き渡り、良い糸が得られる。
以上のことを繰り返して綱の天井の糸は細く、中段は心持ち太く、その下の手取り部分はやや太く、その下の水入りの部分はぐっと細く、中段と同じ位の太さにする。
次に、袋部分の上辺りの部分の数段はやや太く、袋部分はまた太く、わけでも「ずり」といわれる部分は網の錘の岩と一緒に川底を引きずる箇所なので他の部分の倍も太くする。また、袋の底、ずり以外の袋の糸はずっと細くするといった具合に糸を作る。
以上述べたのは糸作りのひと通りだが、さらに母親の機嫌を伺い、また農作業の邪魔をしないように、一反分の糸を撚って、それを貯めておくように心掛ける。
さて、いよいよ網すき(結き・編むこと)に取りかかるのだが、如何様の網にするか、だいたいはアユ漁目的、だからあまり小魚は狙わず、沈みの早い網に仕上げたい。無難なところで十回り(縦五寸の丈の中に十の網目があること)とするか。これなら、よほど育ちの良くないアユでも獲れるだろう。
次に、どの位の大きさの網に仕上げるか。第一、自分の技量に適していなければならない。
それには、十匁(四十グラム)の鉛の錘を百二十個付けた四八の綱が良いだろう。目方は一貫二百匁(四・五五キログラム)となる。つまり、周囲の回数が四百八十ということなのである。
ここまで到達するにはさま、ざまな経緯がある。子供の頃から、よく奥の部屋の座敷に寝ころんで昼寝をしたり、外で遊べない雨降りの日など、弟妹たちと家中走り回り鬼ごっこをして、大人たちに叱られた。その奥の部屋の天井に煤けた投網が四、五反吊しであった。そうだ、これをお手本にしよう。早速、天井からはずして、括りを解いて広げてみた。ま、だまだ括られた箇所は白々、当時は新しかったのだ。さらっとした細毛の絹のマヤ網である。
まず、竜頭際から調べてみた。六十目度のすき出しで、裾は幾目度だったかは覚えていない。重さは確か一メ百匁だった。いろいろ自分なりに想いを巡らし、構想を練りして……。その他に「網すき包とっこ」(包み)という古びた包みがあった。開いてみると、さらに昔の麻網のすきかけが幾反もある。なかには、相当使った網を胴中で裁って、下を新しい糸ですき直したものなど、また麻糸の使い残り等々、日を見張るばかりである。

さて、筆者の場合、先生も師匠もいないのだから、網の結び目度を両手に持った木綿の縫い
針や絹針の先でほぐしてみて、ハハン、なるほど、この糸がこっちから来て、ここを通って、このように結んで、次の結び目へと、その都度、目度の大きさを揃える。竹片の駒を回って、右方へ移って進めて行く、という具合である。
つまり、最初はやや太めの横一本の糸へ、これも同じ位の太さの絹糸を長さ三センチ、幅一五センチ、厚き二ミリの竹製の駒を使って、一回駒を回しては上の糸へすき付け、これを八十回繰り返し、上からかぶせて左上方へ抜いて、右上方から下へ向かい、網目の下から掬って手前に引けば、網目が結ばれ、前述のようにまた駒を回しては上の目度へすき付ける。
これを繰り返し、右へ移ってひと回り終われば、次の段はまた新しく、上の目度へすき付け、同じ動作を行い、網を投げたとき、八の字型に聞くために「増やし目」という目度を作る。増やし目とは、同じ目度へ二回すき付ければ、先にすき付けた目度が増やし目となる。
こうして決まった段に、決まった間隔で増やし目を作れば、何段目はひと回りで幾日度あると計算上の数と実際の数とがぴたりと合うはずである。増やし目を作るのはおよそ手取り位までで、それより下の「水入り」という部分から下には増やし目は作らない。
つまり、網が水の抵抗がもっとも少なく、垂直にしかも迅速に水底に着くためである。その
下が袋であるが、袋の上、幾段かは少々太日の糸を使う。当たりといって、川底をずるとき、石や岩や砂利などに接触する部分。
次の袋は全面川底をこするので、岩と呼ばれる鉛の錘と一緒にずる部分には、特に太い糸を使う。
そこを過ぎると袋の底の辺りは直接魚を捕獲する場所なので、細目の水切れの良い糸を使い、また底部を過ぎると糸を太日にして、岩付け際となるので「ずり」の部分と同じ糸を使う。一番終わりの段は岩付けなので、少々太い糸とする。
網の周囲の日数は、水入りより下は増やさないので、一番下の現在も同じで四百八十目のはずである。次は鉛の錘を取り付ける。古い網のをはずして使うときはそれで良いし、新しく岩を作るには原料となる古い鉛製の水道管などを適当な大きさに切断し、鉄製の注ぎ口の付いた杓子に入れてよく織った炭火にかけ、よく溶かして鋳型へ流し込む。鋳型は鎌砥二丁を摺り合わせ「左右の内側へ、それぞれ丸半分の厚みずつ彫り込んで、両方合わせると一個の網の岩の鋳型ということになる。
つまり、その砥石の型を木の台に乗せて動かないように固定し、それにどろどろに溶かした鉛を注ぎ込んで、冷えれば網の岩の出来上がりである。その際、網の岩の道縄の通る穴を開けるため、岩の型の耳の部分へ竹釘を刺しておく。出来た岩は一個の重さが十匁(約三十七・八グラム)。それを百二十個、目方はおよそ一貫二百匁(四・六キログラム)になる。
岩の道縄は、普通麻を「手絢い」にして使う。太さはおよそ一分位吉一ミリてその縄へ錘の岩。直径約三分(九ミリ)、長さ約二寸(六センチ)位。両端に耳の形が出ていて岩の長さに並行して一分(三ミリ)位の穴が聞けてある。その穴に道縄を通して、百二十個の岩を等間隔に配置し、一個の岩に二目度岩と岩の聞に二目度、つまり四百八十日÷百二十個”四目度でぴったり割り切れるはずである。その岩を畳糸できちんと網の一番裾の目度へくくりつける。
その次の工程は水張りといって、木製の「盟」に水を張り、岩を付けたばかりの網を清水に浸し、その網の裾を「盟」の外側に等分に道縄のような丈夫な縄でしっかりくくりつけ、静かに吊して網全体の結び目をキリキリと良く締め付け、完全に乾くまでおく。

これは後々、網を使用するとき、寄り目などしないためである。乾いたら「盟」からはずして、いよいよ最後の工程である袋吊りである。
網を座敷の天井から吊り、裾の岩がちょうど畳に平均につくように吊って、その中に自分が入って網の岩と岩の聞を一つ置きに丈夫な太目の糸で「神ぐくし」という結び方で結んで、真つ直ぐ上方のあらかじめすき(編み付けして)付けておいた少々太い糸の一段へすきつけるのであるが、袋の吊り方には地獄吊りと、改良吊り、改良二段吊りなどの吊り方があり、地獄吊りは上の吊り目へ直接にきつくくくりつける。
改良吊りは吊り糸に数センチのゆとりをおいてくくりつける。改良二段吊りは、さらに改良吊りの吊り糸の頂点部を上部へ三角錘頂点の目度へすきつけて、網を引くときの力の負担を網全体に分散させるようにする。
きて、どの吊り方が一番良いかというと、どの吊り方にも一長一短があって、昔はすべて地獄吊りで魚の獲れは最高に良いけれど、使ってみて砂利は多量に入るし、万一川底の岩や動かない石などに引っかかった場合、なかなかはずれない。それに、袋吊りの力が部分的に吊った箇所に集中するので、どうしてもその付近の網目の損傷が著しい。
その代わり、魚は逃げにくく、まさに魚にとっては地獄だから、地獄吊りである。改良吊りは、地獄吊りの欠点を補い、砂利の入りを極端に少なく押さえたのは良いが、魚の獲れ方は少々劣る。その代わり、網を引くときの力が網全体に掛かるので、網の傷みは少ない。改良二段吊りは、更に網を引く力を網全体に分散させるように考えたものである。
私は主として、この改良二段吊りを採用した。何分にも本業の邪魔をしないように、農作業の合間合問、お茶休み、昼休みなど、寸暇を惜しんで、たとえひと目でもと、先ほども述べたが、網を天井から吊すやり方は、網の岩が畳にやっと着いたという吊り方が良い。網の中に入って、先述の通り内側へ吊り上げれば、網のたるみが出来て、すなわち網の袋であり、網を打ったとき、魚は当然、そこへ逃げ込んで出られない。
その吊り糸は、自分で撚った太い絹糸で、あらかじめ二段吊りに仕掛けておいた。二段吊りの下向きの尖端へ岩と岩の聞の道縄を吊り付ける。この動作を左の方から右側へと移行するように、山石の一つ置きに吊って行けば、自然に岩の道縄はW型の連続となり、その下に十二センチほどの網の袋が出来上がる。一周吊り上げるのにそれほどの日数は掛からない。
全部吊り終わればそれで網すきは終了だが、あとは「渋くれ」をする。それは、柿渋に網を浸して丁寧にむらなく行き渡らせて、軒下に広げて吊し、篠竹の棒などを使って突っ張りをしてよく干し仕上げれば、投網の製造はすべて終わりである。
なお、柿渋は、八月のお盆休みの頃、農作業の合間をみて渋柿の青い実を収穫して来て、四キログラム位の単位で石臼に入れ、杵で丹念によく揖き潰し、水を加えてひと晩置いて半焦へ布を敷き、桶の上などに乗せて櫨過し、下の桶に溜まった液体がすなわち柿渋であり、これを焼酎瓶などに入れて、納屋や土蔵の隅など、冷暗所へ貯蔵しておき、必要に応じて必要量を取り出して、投網のほか、紙具、布具などの補強の目的などに使用する。
竜頭着けについては述べなかったので、ここに付記する。
竜頭とは、いわば投網の要である。すなわち、投網の一番上部のすき始めの部分に取り付ける器具で、その材質は昔はほとんどが獣骨製であった。ところが近年、金属製のものが出てきたが、性能的には獣骨製の物の方が抜群である。型状は、銑鉄製の風鈴を幾回りも小さくしたような形で、風鈴の形の外殻と内側に納まる内駒からなり、風鈴型の外殻の頂点部に小さい穴があって、内に納まった駒はその穴から少々顔を覗かせるが、決してそこから出るようなことはない。
そして、その内駒に手縄をしっかりと取り付ける。つまり、内駒にも縦に穴があり、その穴に手縄の元部を通し抜いて、縄の端をほぐして三つに組んで駒から絶対に抜けないようにする。その場合、すでに内駒は外殻に納まった状態で右のように取り付け、手縄で網を引っ張ったとき、網が千切れようとも竜頭は離れない。
また、竜頭には裾部の一周に六個の小さい穴が等分の間隔にあり、その外殻の穴に網のすき始めの日数を六等分に丈夫な畳糸などで対角から対角にと、下側裏側から見て、星型にしっかりとくくり付ければ、網は竜頭に固定され、これで手縄と一体となり、しかも手縄が下の網の内側に落ちることはなく、網を打った際、竜頭の働きでキリキリと網がどう展開しようと、外殻と内駒の摩擦で、自由自在に展開するのである。
これで、すべての投網の、お蚕から糸を取ってからの生い立ちである。こうして一年余り掛かって仕上げた網に、前述の柿渋をくれて(網を渋汁に浸して天日でよく乾かす)、アユ漁解禁の初夏の夕暮れの川辺へ、すきたての綱を提げて急ぐ。
ついでだから、投網の仕方について、述べてみる。
まず、手縄の端末を左手首、または左手の小指に固定する。そして、その手縄を手元から順に左手の掌に直径十五から二十センチ位の輪になるように手繰
ヲ。。
その場合、掌の前から、つまり親指の方からではなく、掌の後方、小指方向から輸になる状態に手繰り、手縄に続いて網の部分も同様に手繰る。網の岩の部分が足元の地面に着いて、丁度網を手繰った左手の下端小指の部分がおよそ臓の高さ位のとき、今度はしぼんだ網を逆手に手繰り持ち、そこで手繰るのはやめる。
今度は下に下がった網の自分の方に面した左手の下、約四十センチ位のところを右手の食指と親指で少量をきちんとつまんで、左腕の肘を張り、肘の下側から外へ回して張ったひじにはずれないように、しっかりと掛け、右手で前に垂れ下がっている網の内側から岩の着いている道縄のそばから道縄はつかまないで、数えるように右手の掌中に握り、残った部分を左手で肘を張ったまま、今度は外側、つまり上側から逆手でなく、先に手繰った部分とともに、岩や道縄はつかまず、右手の助けを借りて、しっかり握り、右手と左手の聞を四十センチ位に開く。このとき、網の岩は地面より二十から四十センチ位上方にあり、水中の場合、水面より上である。これを網を「手取る」という。上体をやや前傾とし、右前半身に構え、前下に垂れた部分は適当な快い重みがある。これを一回、前に振って反動を取り、後ろに引いた次の瞬間、力一杯前方に投げる。
普通は何回も反動は取らない。何回も反動を取ると、そのうち調子が狂ってしまう。だから、だいたい一回の反動で気、綱、体が一致して、必ず思う「つほ」をはずさぬように投げる。

腕や手の先で投げないで、腰から投げるというか、体中で投げるというか、まさに気、網、体が一致しているということ、やはり腰で投げることになるように感じる。
初めのうちはなかなか良い型に聞かないが、慣れるに従い、投げる瞬間、網が掌を離れる、その離し方が大切である。
このとき、腰の角度はおおむね五十度乃至七十度位で、天井へ向けて投げない。あくまでも水平に投げる。網の岩の道縄の円が一斉にさっと水面に落ちるためにだ。道縄が手前の方からボチャボチャと落ちるようでは魚は獲れない。
とにかく、研究しながら数をこなせば上達する。あとは、着衣に気を付ける。特に、ボタンやチャックの付いた衣類は禁物である。投げようとしたとき、網の目が前ボタンに引っかかることがあるから特筆しておく。

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