田火振り漁物語

田火振りとは、遠山の雪も消えて、そろそろ野山に緑が萌え始め、裸足で水辺で遊んでも寒くなくなる頃、早い年には四月中下旬頃から、私が小学校三、四年生(昭和十一、二年頃の話)の新学期が始まって間もない時分、ガキ大将よりもっと大先輩で普段から可愛がうてくれている隣の岩田米次さん(岩田幸コ一御父君・ピアク島で戦死)から声を掛けられて、今夜は風もないし温かいから、火振りにいくべえと誘うてもらった。
その当時、宮側町の犬橋の上の浦島商店といって穀物屋さんがあり、きれいなお母さんや「さっちゃん」や「ひさどん」がいた。昔はそこで石油を扱っていた。今のように、石油ストーブも石油規炉もなく、すでに電灯は引けていたので、需要も少なかったせいか取り締まりも厳しくなかったのであろう。
そのお店では、米や大豆や小豆などの入った大きな箱が並べてある士聞の片隅の石油箱に、二本並んで入うている一斗缶から一合析で計って売うてくれた。そこへ酒のせいぜい二合か四合の空瓶を持うて、夕方買いに行く。三銭か五銭だったと思う。
夕暮れの街を急いで家へ帰ると「火振りランプ」(トタン板製または練乳の空き缶などを利用した直径七i八センチ、高き十二センチ位の円筒形で底に近い横腹から四十度位の角度で細長い筒状の火口と上面は密閉の蓋で、その上に直径一・五センチ位の一センチ位立ち上った石油
の注ぎ口と柄に吊す逆U字型の少々太い針金をハンダで頑固に付けてある)へ、先輩に習うて
小さい「すいはく」で、石油を注ぎ暗くなるのが待ち切れず、まだ薄暗くなり始めたばかりの水田に近所の子供達が先輩を先頭に二人、三人と手に手に燃えさかる火振りランプとドジョウ鎮、腰にはそれぞれ小さな腰篭、ズボンを膝までまくっての出で立ちで、水田の水の溜まった、所や手堀といって水のある細い溝やまた子供が日頃、堀つこと呼んでいる小さな流水の草陰のよどみなどを丹念に照らす。
ドジョウは温かくなると、水底の泥や沼の上に大きいのも小さいのも長々と一文字になうて、じっと眠うている。それをさうと素早く右手に持ったドジョウ欽で挟んで、腰篭の中へ入れると、中でこんころ跳ね回る。
気が付くと、辺りはとうくに真っ暗聞になうて、お寺(札所十六番)の竹薮が閣の中にも真っ黒に見え、その辺りから「ミミズク」がホうトホうトと鳴き、石油の燃える臭いが漂い、あかあかと燃える石油ランプの炎に泥の付いた足や赤ら顔を聞に浮き上がらせて、一心にドジヨウを探す。ゲコゲコと鳴く「カエル」の声で、耳が巣になりそうで、「ミミズク」の声も遠くに聞こえるほどである。
時折、中指ほどもある大きなドジョウが長々と眠っている。胸をときめかせて鋏を近付けると、危険を感じてかとっさにガシャっと短い水音を響かせて泥の中へ姿を消す。また、挟む場所が適切でないと、太い奴は力があって鋏を振り切って逃げてしまう。逃げたドジョウの大きいこと。
だんだん上の方へ水のある所を求めて照らしていくうち、腰篭の底には大小の土壌が重なり合ってにゅるにゅる。ずっと腰を屈めたままだったので、たまには腰をのばさなければと辺りを見渡すと、人よりも先へ先へと行かないと気が済まない子がいるものだが、そういう子は割合漁獲量が少ない。
丹念してじっくり腰を据え、落ち着いて慎重に照らしていく子の方が、どうしてもたくさん獲ったものである。
現在の駅前通り付近も、その南西方の住宅街も蚕糸会社の敷地(平成十年スーパーマーケット進出)も大半が水田で、特に深い田は太股までもあり、それらに隣接して何面かの蓮池や鯉
池などがあり、水源は現・井上政二郎氏邸下、井上十三男氏邸下、浅見久作氏邸下、また札所、十六香西光寺の竹薮の下など、それぞれの屋敷林や竹薮下からこんこんと多量の清水が湧き出て、西光寺所有の平池という池に集まり、深くはないが水が冷たく透き通り、底はきれいな小砂利で膝小僧位の深さで冷たくて入うていられない。その池には冷たすぎて魚はいなかった。
この水が下流の下中村、篭田、金室方面の三、四町歩位の水田を潤したのである。
さて、蓮池や鯉池を照らしてみると、フナやコイや、ときにはウナギもいた。フナは鯨のところを挟めば、おとなしく獲れたが、コイは力が強くて駄目だった。ウナギは胸をわくわくさせて対決しても、鉄を壊されるくらいが関の山である。そこは「寺の下」というて、地形的に札所十六番の下側に当だるからである。
昭和二十年の秋頃から、秩父蚕糸会社の創立進出とともに、水田や畑が徐々に埋め立てられたのである。その寺の下から蚕糸会社の出来たところまで行くと、夜も八時過ぎ頃になり、そろそろ眠くなったり飽きできたりするので、帰るべえやと先輩が声を掛けると、皆がけえるべえやと言うて平池で足を洗って腰篭の中をランプをかざして見せ合って、やはり先輩の腰篭が一番重そうで、篭の白からドジョウの泡が出ているのが夜目にも白く見えた。
誰の顔も石油の燃える煤煙で鼻を中心に真う黒けで、目端は歌舞伎役者のようだった。その頃は、今と違って長靴なんか履いていない。帽子も被うていない。皆裸足だった。
それでも、危険物が散らばっていなかったせいか滅多に踏ん裂きなどしなかった。
「うんと獲れたかえ」と夜なべをしていた大人達に迎えられ、それから冷めた「おっきり込み」などを温めて、遅い夕食である。お風目、就寝。
さて、年ごとに火振りの技術も上達して、六年生や高等科(中学生相当)位になると、一段と上達して弟妹の他にも後輩が出来、行動範囲もぐんと遠くなり、今の中近団地から桜橋方面まで時間も夜十時位までも獲って歩いて漁獲量も増え、四百匁(約一・五キロ)も獲れたこともあった。
なにしろ、中近団地が全部水田や荒川本流へ流れ込む堀(滑堀とき守う)の上流だから、ウナギにもたびたび出合ったが、実際にウナギを獲ったことは滅多になかった。滑堀の源流の一つの大池の尻の水系の堀で、ある晩、でっかい奴に出合った。
どうせ、ドジョウ欽では太刀打ち出来ないので、火振りランプや鋲を傍らの畦に置いて、手で掴みに掛かった。ウナギの固く引き締まった体が手に触うて掴んだと思った瞬間、太い体は尻尾で空間を切り、浅い水を濁し、大きい水音を残して泥の中へ消えた。

沼の中を手で探って指に触れて、ほらいた、掴めばにゆるにゆるとどこかへ行ってしまった
と思ったら、そのうち足の腫や土踏まず辺りをむぐむぐ。急いで、そこを握るとちょうと指に触うて、あーらもう、どこにもいないという具合で、とうとう子供中が集まうて、四つん這いになって水深二十センチ位、底の泥の深さが三十センチ位の幅三十センチ位の水路がそこだけ九十センチ位に広がったところで、あっちへ行った、こっちへ来た、そっちにもいねえ、こっちにもいねえ。あーあ、とうとうでっかいウナギを取り逃がしてしまったということもあった。
こうして、根気よく風のない温かい晩はよく出掛け、獲れたドジョウは台所の隅などで、「さ鉢」(陶器の大鉢)や瓶で飼って、やせないように大豆を一握り入れて、ふやけると餌になる。で、たびたび水を入れ替えてやる。水を替えてやるのを忘れて全滅に近いほど死なせて、臭くなうていたこともあり、急いで続けざまに水を替えてやったこともあった。
そして、買ってくれる人がいると、百匁(約四百グラム)を十五銭か二十銭で買うてもらい、ドジョウが溜まると、街の方へ売りに行ったこともある。そのお金が自分達子供時代の大切な収入源で、その頃、貧しい大人からお小遣いなど貰うものではないと思っていた。
魚の釣り針やテグス、浮き、錘、また針の種類、特に疑餌針の毛針を選んで買うのがとても楽しみで、学校帰りなどに今日先生から出された宿題などはとっくに頭の隅っこのどこかへ行ってしまって、学校近くの辰巳屋さんへとんで行ってこの毛の色の針が良いだろうか、それともこうちかな、なんて迷いながら買うところに何とも言えないスリルがあった。
そして、「便所ハエ」に似ている針は、その頃(昭和十二、三年)一本一銭でよく釣れたけれど、パカザコ(オイカワ)が多く釣れた。春から初夏は黄色の毛針、真夏には黒金というて金色の小さい玉があと先にあうて水切れのよい黒い毛で針が隠れている毛針の代表格、それに少々青味がかうて光る毛、八月半ばから九月、秋にかけては茶色がかったハチに似た針などが魚がよく掛かった。そして、きれいなハイカラさん髪の辰見屋さんのおばさんが悪い顔もしないで、気長にやさしく子供の客の相手をしてくれたっけ。
私は小学六年生の夏、欲しくて欲しくて夢にまで見た四本繋ぎの繋ぎ竿を、花の木小学校からの帰り道(昭和十三年四月八日午後七時頃出火で六年生の新学期一日行った晩、秩父町立大宮尋常高等小学校が全焼、各学年とも教室を失い、午前香、午後番の二部教授、学年にようては札所十三番の秩父幼稚園など、私達六年生は第二小学校H現・花の木小学校へ一年間通った)、現在の本町の浅見薬局(当時は釣り具も売っていた)で金五十銭也で買ったことがあった。
そして、何年も何年も太切に使った。その他、高等小学二年生になるとき、妹が六年生、ドジョウを売ったお金で二人の教科書を全部買ったこともあった。
田圃のあるうちは後輩達、弟妹達も面白さとお小遣い欲しさに火振りを続け、戦争中となり石油が統制で買えなくなると、今度は山から松の木の根っこを掘って来て、それを細かく割って、自分で少し太い針金で作った直径二十センチ位の金網に柄を付け、その上で「火で」(松やにの固まり)と呼ぶ松の根っこを燃やしてまで火振りを続けたが、ういに住宅や工場が増えて、水田が減ったり、また上下水道完備でそれぞれにあった湧水や清水が出なくなり、昔からあった幾つもの池が干上がってドジョウもフナもいなくなった。
ついに、長く続いた田火振りもその姿を消して昔話の仲間入りとなったのである。

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