味噌掃き物語

私が子供の頃、家の大人達はよく「屋根と味噌」ということを言った。それは、日常の生活
の中で最も大切なものということで、屋根は雨が漏らないように、味噌樽は空にならないようにと願って、昔から実行して暮らしてきた。
そうして、味噌倉には五斗以上入る結い樽が三本と四斗樽が五本の計八本があり、喰っている樽以外はいつも満タンだったが、これは人目に付かない味噌樽のことだった。
それに引き替え、屋根は人目に付くので、世の中では一生懸命必要以上に競争面で余所の家より締麗に見せようと投資するのが常のようだつた。
我が家では貧乏なせいか、特にこの点を戒められ、子供のときから大人に味噌、味噌、味噌、味噌と言って、育てられた。、だから、子供達まで味噌縛は人目に付かないから空になっても黙っていれば人にはわからない、まあいいや、そのうち、そのうちと言っているうちに、遂に買って喰えばいいやということになる、そうなると取り返しがつかなくなるから特に、注意して育てられてきた。
昭和二十年の終戦前後の頃、極端な塩不足で、終戦直前、一兵卒として国内を列車移動中、隣接貨車の岩塩川から小量の岩塩を盗んだことがあった。復員後も味噌の原料の大豆や大麦は自家生産したが、塩ばかりは入手困難でほとほと困惑した。
終戦直後の秋頃、海岸地方の婦人達が背中に背負い、一升いくらと法外な値段(当時、確か一升百円位、だったと思うが、そのころの百円はまだ大金だった)で売りにくるのを、味噌のためじゃ仕方がねえやと、その婦人達が背中の荷を降ろして上手にほぐして一升析にそろそろっふーんわりとまるで綿菓子のように盛り上げて、「かっきり棒」でサッと手際よくかっ切っては十杯なり十五杯なり計って大枚千五百円也、二千円也と言うのを母は貧しい財布から我慢して支払ったこともしばしばで、私たち兄弟は、そばで固唾を呑んで見守って父母の胸中を思いやったものだった。
さて、次に味噌の作り方について述べてみる。
まず、丁寧に精白した一斗五升の大麦を二昼夜位水に浸潰し、それを「しようぎ」に揚げて水を切り、清に空けてなるべく色の濃い赤いふすまを三升位大麦全体にむらなくまぶす。これは成分よりも着色が目的で、昔は天然の物を利用し、決して合成着色料などの人工的なものは使わなかった。大麦が濡れているのでよくふすまが絡まる。
今度はそれを六升炊きの釜に「三升っ蒸かし」の甑でよく蒸して、麹床と言って土間の隅や小屋の隅など(この場合、季節に配慮して寒くない季節を選ぶ)に稲藁を厚く敷いてその上に席を二枚重ねとし、それに蒸した大麦を広げて人肌位に熱を冷まし、種麹菌をよく混ぜて席を二・三枚掛けて保温する。これを麹寝せという。
たまにはよく手を洗ってよく拭き、十席の中へその手を差し入れて温度加減を計ったり、熱すぎれば庸をはいで少々風を入れたり、また低すぎれば集めて薦を掛けたりとよく観察して対処する。
そして、数日後には何とか黄色い花の付着した麹が出来る。麹は生き物(バクテリア)で、黄色く見えるのは麹菌の胞子である。麹は温度や湿度ですぐ変質するから、日向に出してよく干し上げる。
次に、農作業などとの兼ね合いを考えて、たいてい春か秋に味噌携きをする。
まず、質の良い大豆を精選して、一斗五升(約三十リットル)を二、三日水に浸潰し、十分水を吸わせてから、竃を二基使って六升炊きと一斗炊きで豆煮をするのだが、大豆を煮るのは大変難しい。豆を浸した水は捨てることなくその水を主体にして煮るが、大きい釜に一杯に張り込んで煮るので火加減が大変で、少々火が強ければすぐ吹きこぼれるし弱ければ煮上がらないし。だから燃料を吟味して、、はあ、はあ物(細かい燃料)は避けて、均一に燃える質の良い堅木の薪を使う。
そして、急がず焦らず「ことこと」と{永から離れず気長に煮上げる。家の内外に豆の煮える臭いが漂い、湯気が立ち上る中、時折豆を弧んでみて煮え加滅を確かめ、また少量を食べてみる。
子供の頃から、味噌豆は三里帰っても喰うもんだという喰えがあると、大人達からからかわ
れて本気にして食べたものだったが、それまでに煮込むのが大変で、いよいよ煮上がった豆は、自の荒くない専用の篭を桶や大バケツの上に置いて揚げるが、下に溜まった煮詰まった濃い煮汁は「あめ」と呼ばれ、大切に取って置き、味噌揖きの際使
さて、豆煮は主として女衆が主体で行った。それより前でも、また煮ているときでも日頃は納屋の梁上にしまってある「大半切り」や豆揚げ専用の自の荒くない篭二個、布切れなど入れず藁だけで作った草鮭など、よく挨を払い丁寧に熱湯洗いしておく。
「大半切り」とは、厚さ四センチ位の棋の目詰まりの柾板で作った直径一メートル二十センチ位、深さ四十五センチ位の桶で、盟を大きくしたようなもの。それを台所の土間の隅に古薦などを敷いて、がたごとしないように据え、急いで夕飯を済ませて二つの篭に揚げてあるまだ中の方は熱い煮豆をその半切りにうんまけ(移し)て、自分の足を熱めの湯でよく洗って自分で作った草鮭をしっかり履き、半切りの豆の中に立って、天秤棒を杖に突いて「ぎっしり、ぎつしり」落ち着いて軟らかく煮てある豆を踏み潰す。
この場合、草鮭を履かないで、裸足の方が器用だろうと裸足で踏んでみたら、滑らかすぎて豆が逃げ回って潰れない。
その他、立ち臼に入れて杵で掃く方法もあるが、この方法も豆が逃げたり臼の外へ飛び出したりして捗らないので、やはり草鮭で踏むのが一番よく潰れ、仕事が進んだ。
ときどき太い栗の木を割って作った飯杓子のお化けのようなので、半切りの隅のよく潰れない箇所をひっくり返して踏みやすい所へ出しては繰り返し踏んで、豆粒がなくって全体がねっとりとむらなく踏めたら、片方に接している板の間へ腰掛けて草鮭を脱ぎ、そばにいて香伍(介添え)をしている妻なり母なりがその草睦を温湯でよく洗い、その水は捨てない。
今度は、互の踏めた大半切りの中へ干して置いた麹の全量を静かに入れ、さらに塩を一斗五升位(味噌は三つ一といって、大豆、麹、塩とを三等分に)「大半切り」に入れて最後にあめ(豆の煮汁)を入れ、踏み潰れた大豆と麹と塩とよく混ざるように、裸足の足は滑らかだから、隅々までよく踏みくるんでむらのないように。まるでどぶっ田(水田)へ入ったみたいで、の部分に足が触れれば滑っこいし、麹に触れれば、ざらざらするし、塩の部分は冷や冷やするし、先ほどの杓子で掘っ立てては踏みくるみ全体が滑らかになってくると滑りやすいから、転ばないように天秤棒の杖を頼りに足探りで大半切りの隅から隅と足の感触が均一になるように豆ばかりのところ、麹ばかりのところがないように、このくらい念入りに丁寧にすれば悔いはないだろう。
大分味噌らしくなってきたので、足に付着したのをよく扱き落として、今度はそのまま風日場まで裸足で行って足を洗う。味噌を揖くとはこれで終わりだが、この後、結い樽という五斗以上も入る仕込桶(普通、味噌樽という)に移すが、それの置いてある所は味噌蔵とか台所の奥とか気温の影響を受けにくい冷暗所が貯蔵所で、我が家でも台所の奥に八本の味噌樽が並んでいる。
ここに据えてある五斗樽へ大杓子で「しらき(木鉢)」に入れて移し入れるが、このとき、我が家自慢の味噌漬けの原料の茄子とか大根とか、季節に合わせて予めよく水洗いして露を切って置いておいたのを入れるが、牛芽の味噌漬けだけは総領が道楽をするからと言って絶対に入れなかったが。何の謂われか教えられたことはなかったが、そう言い聞かされて、またそれを大人に問い質したこともなかった。
何か他に理由があったかどうかもわからないが、また我が家ではそういうことがあったのかよそもしれない。余所で貰って食べたり、旅行先で買って食べて美味しかったと思った。
さて、仕込み樽に一杯になったら日高昆布など、北海産の幅広い肉厚の見布を温湯でふやかしたのを蓋として敷き詰め、直径十1十五センチ位の薄い丸い川原石を締麗に洗って干し、その上に載せてそれに木製の厚い蓋をして貯蔵する。そして、仕込んだ樽順に口を付けて使うが、そのとき蓋の昆布も水洗いして、御飯のおかずにすると変わった美味しきがある。また、味噌漬けの茄子や大根は、我が家独特の漬け物として珍重された。また、味噌も五、六年経っているので、味噌汁も、とても良い色で、我が家の自慢の一つだった。

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