唐臼物語

昔、農家にはたいていの家の土間の隅とか、納屋の隅などに「唐臼」というものがあった。唐臼とは、人間の体重を利用して、米や麦やその他の雑穀などを精白する道具のことである。家や納屋の土間の隅の地面に石製の臼が埋めてあり、竿といわれる長さ四メートル位、太さは二十センチ×十五センチ位の角材の中央より少し先に寄ったところに、直径四センチ、長さ五十センチ位の芯棒を水平に通し、先端に下向きに直径十五センチ、長さ七十センチ位の棒製
の杵を取り付けて、その頭に二十キロ位の型のよい石などをくくりつける。
そして、竿の芯棒は臼から一・五メートル近く手前に埋めてある栗の木の大木に、地上三十センチ位に溝があり、その溝に芯棒を載せると、丁度杵が石臼の中央になるようにする。栗の大木は地中深く埋めてあり、地上部は四十センチ位で、「はさみ」と称し、竿の支点である。
それから、手前二メートル位、つまり、臼や杵の反対方向の竿の先端十センチか十五センチ離れたところに「踏ん切り」といって、これも大木の元部などを地上回十センチ位出して埋めである。また「踏ん切り」から三十センチ位臼寄りに取り木といって、天井に取り付けた柱に泊まり木状に横棒があって、「踏ん切り」に登って取り木につかまり片足で竿の後端に載ると、体重で竿が下がって、杵が約五十センチ位上がり、足を離すとどしんと落ちる。つまり、シlソ!と同じである。これを繰り返すことで、臼の中の米や麦が杵と臼の摩擦でだんだんと外皮が剥がれて白くなるという仕組みである。
昔から、昭和三十年代頃までは、まだ我が家にも小屋の土間の隅にあって、戦中、戦後頃、街場の懇意な奥さんたちが配給された米が黒いからといって、十キロなり十二キロなりの米を風巨敷やリュックなどで背負って来て、唐臼で揖いて白くして食べようと、慣れない体付きでいやいやながら一日掛かりで仕上げたものだったが、それでも回を重ねるごとに板について、教えてあげなくても上手に白く出来るようになり、終いには唐臼揖きを楽しむようになったものだった。
何しろ、米も麦も、その他の雑穀類も精白しなければ食べられないのだから、唐臼揖きの作業はどの農家でも昔は重要な仕事の一つだった。よく掃除した石臼へ約十キロか十二キロの玄米をざーっと入れて、それまで竿の足元に突っかい棒を、突っかつて上げであった杵を、竿の元部を踏んづけて体重を掛けて、そっと突っかい棒を外し、静かに足の力を抜いて杵を臼に入った米の中へ降ろす。
その後は、連続して竿の元部へ上って、杵が上がると足を離し、この運動を繰り返すことによって、杵と臼と米との摩擦で多少の熱も出て、玄米の外側の皮部分が糠となってだんだんと剥がれて、何百四か繰り返すうちに米が白くきれいに糠にくるまって艶が出てくる。
この作業は小学生五・六年生頃からよく手伝わされたが、まだまだ体重が足りないので、妹
や弟と力を合わせて仲良く助けてもらった。兄が取り木へ掴まって、竿の元部を、つんと踏んづけると、妹なり弟なりが支点のはさみに上ってこちらへ向き、片足を踏ん張って兄の踏んづけに合わせて一緒に力を入れて踏んづけて、兄なり姉なりのたしをし、朝飯を食べるまでとか学校へ行くまでとか、一生耐市川命やると冬でも体がほかぽかしてくる。
白くなった米を掌に載せて大人に見てもらうと、もう少し白く携いた方が炊き増えがするし、お客様に出しても体裁が良いから、いまひとつきり携けと言いつけられて、本気になってどの
くらい時聞が経ったか、随分白くなってこれで良いというので、竿木の元を妹と二人でうんと踏んづけて突っかい棒を突っかつて杵を上げ、臼の縁へ箕を置いてその右隣へ両膝をつき、臼の中の糠にくるまって白くなった米を昔の木製の親椀の壊れたのを改造した「掃き出し」という物で箕の上へ掃き出して、臼をきれいに空にする。箕に山盛りの米は一斗五升桶などに移して、今度は「通し」という立型の固定した簡を麿を二枚重ねて敷いた上に立てて、その上から桶を担ぎ上げて通しの舟の中へ静かに入れると、米は通しの細かい金網の斜面を滝のように走り降りて、これを二回繰り返すと米糠が金網の下に落ちて積もり、米はきれいな白米になる。今度は、その米を「唐箕」という箱型の手で回す風車で細かいゴミを吹き飛ばし、蒋に広げて手先で掃き寄せ掃き寄せ、繰り返して目に入ってしまいそうな小石など米粒以外の異物を拾って、お椀などに入れて後で捨てる。自分たちで種を播いて、植えた稲から穫れた米がようや
く家族みんなの口に入ることになる。
次に、麦揖きだが、麦といってもお米と一緒に炊いて食べる大麦のことである。水車物語でも述べたが、麦を措く場合は、石臼に張り込んだ大麦の量の約十パーセント位の水を加えて携き始める。そうして、だんだん揚けて来ると、麦の皮がふやけて、ささくれ立って、麦全体が石臼の内壁にせり上がり、杵の落ちる臼の中心が空洞になって杵が石臼の底を携いて壊れてしまう。
そこで、麦掃きには「はっこみ手」というのがいるのである。はっこみ手というのは、長さ七、八十センチ、幅四、五センチ位の竹べらを持って臼の脇に庸など敷いて座り、手にした竹の「へら」で臼の中のせり上がった麦の側壁を石臼の中心へ突っつき落とす。順番に杵に揖かれて皮が剥げ、だんだん白くなるように麦を回転コントロールさせるのがはっこみ手の役割で
ある。
麦が描けて白くなり始めると臼の中は糠だらけになって、杵の当たりが弱くなるので、中通しといって白から糠、だらけの麦を出して唐箕にかけ、糠を吹き出して麦の粒だけになったのをまた石臼に入れ、さらに根気よくあせらず、ギッタンギッタンと同じリズムで唐臼揖きを続ける。途中で用事が出来たりすると、家族の数が多いので、誰かが代わって揖くこともある。
唐臼揖きは下駄や靴を履いては出来ないので、必ずといっていいくらい、藁草履を履いてやる。だから、雪の降る日とか、夜なべとかには努めて藁草履作りをする。品質のよい稲藁を丁寧に硫って水をかけて湿し、一晩寝かせて、土間の中央にいけである藁打ち石の上で重い木槌でむらなく叩いて、柔らかくして素性のよい藁で織物にたとえると縦糸の役目の縦縄をなうのである。
その縦縄をあぐらをかいた両足のひらを合わせて、左右の親指を使い草履の型を作り、それに柔らかい打藁に端切れなどの布切れを巻いて、草履の先端の爪先部分から作り始める。草履
作りの話は長くなるので、他日に譲ることにする。
とにかく、唐臼揖きの履き物は藁草履に限る。また、たびたび左右の足に履いているのを交換して、左右平均に滅るように心掛け、乾き過ぎると脆いので、たまには裏側を湿らせる。
さて、本題に戻る。根気を詰めて描くうちに、さしもの大麦もすっかり糠が取れて象牙色から白米ほどではないが随分自くなったので、杵の竿木をうんと踏んづけて突っかい棒を突っかつて杵を上げて固定し、米のときと同じように糠にくるまった大麦を臼の中から箕へ出して、唐箕で糠を吹き出し、天日でよく乾燥させる。庸に広げて乾燥中、掌で返し返しして石拾いをしてから、鼠に喰われないようにきちんと貯めておいて、あとで挽き割り麦にして、お米と炊いて麦御飯にする。
幾代もの人たちが家のため、子孫のためにと、こんな思いをして死んでいったのである。
さて、ここで唐臼揖きをしながらのエピソードがある。それは、子供の頃、お年寄りたちから聞いた話である。筆者曽祖父の時代寒い雪の降る目、野良仕事が出来ないので、こんな日は唐臼掲きが一番いいと。けれどもあまり単調な仕事なので飽き飽きして、三、四十メートル離れた裏の田園、そこは稲刈りもすんで稲架もなく深々と降った雪が止みかけて明るい雪野原である。

その見通しのよいところの雪を畳二枚ほどの広さにかっ掃いて、そこへ籾や粟など、小鳥の
餌を播いて、無双網といって遠くで細い綱を引っ張ると餌を食べている小鳥が獲れるという、自分たち手作りの網を仕掛け、唐臼揖きをしながら見ていると雀やホオジロやカワラヒワ、ツグミ、大きいのではヤマバトなどが芋を操むほど集まって、えらい騒ぎで餌の奪い合いをしている。頃合いを見計らってサッと手元の綱を引くと、無双網がまるで生き物のようにパッと小鳥の群に覆い被さる。
間髪を入れず、唐臼の踏ん切りから飛び降りて脱兎のように走り、網を被ってパタパタしている数多くの小鳥たちを次々に捕らえたり潰したり、思えば本当に可哀想なことだ。
しかし、昔の人たちにとっては大した娯楽もない時代なので、楽しみの一つ、また大切な蛋白源ともなった。昔の人が寒い冬の夜、囲炉裏端でツグミや雀の塩焼きを肴に一杯やっているのが目に見えるようだ。
以上、述べてきたところが、昔の農家の人たちが年寄りも子供も一度は体験した唐臼揖きの物語である。今では、唐臼の石臼の底の部分だけが農家の裏庭で金魚でも飼ったり、骨董屋の店先などで見掛けるぐらいなものである。

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