はじめに

私には正直言って時間の持ち合わせが極端に足りません。大正十五年六月十八日、私は現住所に生まれました。
当時は米・麦・養蚕中心の経営でしたから、今と違って大家族主義で、どこの農家でも八人や十人という家族が、ざらで、決して珍しいものではありませんでした。
私の場合も、久しく子供がなく大人ばかり九人も暮らしていた農家の長男として生まれ、子供が珍しかったことと当家の長男というので、大人たちの膝から膝へ「蝶よ花よ」と大切に、反面厳格にまた情緒豊かに育てられました。
成長するにつれ、我が家も入手不足となり、農作業の面などでは随分厳しく使われ、小学四年生頃からは特に相当な役割を課せられました。その後、順調に長男としての経路を辿り、青年学校青年団防空監視隊員など、当時の若者としての活動を体験し、兵役は最後の徴兵で昭和二十年一月甲種合格、山砲兵として二十年六月九日、東京世田谷の東部十二部隊で新編成特別独立山砲十三連隊第八中隊に適性検査の結果、指揮小隊通信分隊に配属。世田谷新町の小学校に駐屯。直ちに準尉職藤井曹長殿の当番兵を配命。七月十日早朝よりの空襲下渋谷駅より茨城常陸太田へ軍用列車で移動、薩土小学校宿舎。八月十五日移動、鹿島郡大岡村角折の民家へ分駐お世話になる。途中石岡駅で玉音拝聴。八月三十日砲を引き移動夜行軍那珂湊中学校へ、九月十二日復員。戦後は二十三年秋結婚。二十五年長男、二十八年二男、二十九年長女、三十二年三男、誕生。三十三年秋父没。爾来弟妹に助けられ妻に支えられ、月夜に「桑畑、つない」「稲刈り」乳呑児を背に牛耕など三十代四十代は夢中で働き、しかし、五十歳代後半頃から歯科受診治療とか、医療関係など、夫婦とも回数が増してきました。そんなとき、待ち時間がもったいないので、新聞の折込広告の裏面の空白を綴じて、幼少時より年寄り、先輩から聞いた昔話など、また自分で体験したことなどを書き貯めることを思いついたわけです。
そして、平成七年四月六日、声帯ポリ1プ除去のため埼玉医大付属病院への入院という自分の時間を与えられことを機に、四月七日の手術後から六月二日の退院まで、本館十階三号八人部屋の入って右のベッドで、折からのオウム事件や相撲のテレビに背を向けて、時間の許すかぎり極力執筆したのがこの『荒川べりに生きる』です。
ようやく、今回の出版まで何とか漕ぎ着けたというのが実感です。本書が、どのような形にしろ、多少でも社会のお役にたてば幸甚と存ずる次第です。

平成十一年初春
岩田 巻太郎

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